woodenvalleyのブログ

日々感じた事や思った事。大切にしてる事。ふとした事。子供の事。

電気工事施工管理技士筆記試験

一級電気工事施工管理技士の筆記試験に合格。

まずは感謝。

継続して勉強できる環境、勉強できる心の余裕、日々の健康、前向きな思考力等々何かひとつでもかけていれば合格には至っていない。

偶然にも合格への道筋が開かれていた事に感謝。

10月には最終の実地試験。

気を引き締めて頑張ります。


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最高の時計を見つけた

最高の時計を見つけた。仕事用に高価な時計を買おうと思った。

三十代半ばという年齢に応じた恥ずかしくないものを身に付けたいと思った。モチベーションをあげる、少しは優越感に浸りたい、また憧れがあったりボーナスも入ったりと理由は色々あった。しかし、父の事を思い出し買うのはやめた。


父は六十代半ばでも毎日泥々になりながら現場仕事をしていた。仕事で身に付けていたのは古くてとても安価な時計だった。その時計は、父の体と同じように酷使されとても汚れていた。それはもともと自分が若い頃に使っていたものだった。自分が使わなくなり捨てるつもりのものを父は使っていた。父が普段乗っていた車も自分のお古だった。それも仕事の道具や荷物が積まれて汚れていた。


もっといい時計を買ってあげたかった。もっといい車に乗せてあげたかった。美味しいものをたくさん食べさせてあげたかった。色んなところに連れていってあげたかった。

息子である自分を頼もしく思って欲しかった。誇りに思って欲しかった。それくらいに活躍した姿を見せたかった。自分の娘も見せたかった。娘の弾けるような笑顔を見せてあげたかった。それをあてにして美味しいお酒を飲ませたかった。一緒にお酒を飲みたかった。


父が使っていたものに似た時計をオークションで見つけた。値段は千円程度だったが、これほどモチベーションが上がるものもなかった。父と共にある証としてこれを一生つけることに決めた。

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何でもないよ

何でもないよ

とランジット君が答えたのは、確かカメラマンが自身の状況について質問した時だったと思う。

ランジット君は当時14歳でインドの孤児が集まるセンターのリーダーをしていた。センターはNGOの支援下ではあったが、自立や責任感の育成を理由に少年少女だけの生活、また生活費も自らが働いて得なければならない状況。統率するだけでも大変な中、当然のように自身も朝から晩まで働き、また仲間が就労先から不当な扱いを受ければ、雇い主に交渉するなど走り回っていた。

そして毎晩全てが片付いた23時に、小学校の卒業資格を取得する為の勉強をしていた。彼には大きな夢があった。大好きな家族の為に家を建てるという夢だ。彼はその為に自ら10歳にして家族と離れて暮らす道を選択していた。

彼には戦う理由があった。それだけの覚悟があれば本当に何でもないのかもしれない。しかし彼はまだ14歳になったばかりだ。彼は恐ろしいほど早く戦う術や冷静な判断、哲学を完成させていた。対象物を確実に捉えた視線は真っ直ぐで堂々とし、美しい瞳は輝きに満ちているように見えた。

また彼は孤児達と共にチャイの店を立ち上げた。それは劣悪な就労環境に対する新たなアンサーであり、強烈なカウンターであり、これから快進撃を続ける狼煙のようにも感じられた。まさしくそのタイミングで青天の霹靂とも言える出来事が起こった。ランジット君の元に大好きな家族から連絡が来たのだ。それは帰ってきてまた一緒に暮らそうという夢のような提案だった。家族は農村から工業地域に引っ越し生活が少しは楽になったようで、それで晴れてランジット君を迎えにきたのだ。普通ならばこれでハッピーエンドで、物語ならば第何章目かの最高のエンディングとなるものだ。しかしランジット君は数日考えた結果、この申出を断る事に決めた。まだ帰る時ではないと判断した。自分にはやる事がまだまだたくさん残っている。事業も始まったばかりで高校にも進学していない。それからでも、またそれを経験した後の方が、家族の力になれると言い切った。

彼は迎えに来た家族を丁寧に見送り、再び仲間たちの元へ戻っていった。そこで番組はエンディングを迎えた。

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一級電気工事施工管理技士

一級電気工事施工管理技士の実地試験の参考書を購入。

筆記試験は先日終わったばかりで、合格発表まで1ヶ月以上あるという状況なので、本来ならこのような見切発車はしない。今回は合格している自信も勿論あるが、先手必勝理論で少しでも早く実地試験の対策を進める事、それによってメンタルは勿論、学習時間の余裕を創り出し、また次に予定している資格取得の可能性をも高める事が狙い。それに、物事は勝手には順調に進んでくれないので、予期せぬ事が起こってしまった場合でも、しっかり準備をしてどんな形であれゴールを決めたい。勝ち負けのジャッジは天に一任。人生の選択は後出しジャンケンより先手必勝。

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ルロイ修道士は実在した

ルロイ修道士は実在した人物である確証はない。

握手(井上ひさしさんの名著)の中の登場人物である彼は、自身の死期が迫っていることを知り、知人たちに別れの挨拶まわりをする。対面した際には、自分の病気については一切触れず、ただ相手の近況を聞き、平穏無事に安堵し、小さな幸せに喜び、少し昔話をして、最後は相手の大きな大きな幸運を祈り捧げる。そしてフィクション、ノンフィクションかかわらず、その後程なくして彼は天国に向かうのだ。

20年以上前に中学の国語の授業で出会ってから、ずっとその存在はどこか頭の片隅にあり、時々ふと思い出してはストーリーをおさらいするというような感じだった。ただその度に、自分の心の中で、ルロイ修道士の存在は確実に大きくなっていた。

しかし、彼はなんとスマートなのだろうか。彼の心の葛藤や臨終の苦しみなどを尺測る事は到底出来ないが、この世に一切の未練が感じられない。自分の為の自分ではなく、他人の為の自分とでもいうのか。

自分もこの先彼と同じように天国に行けるかはわからない。しかし、学校を卒業するように、社会人になるように、締切がくるように、試験日がくるように、寝て起きれば朝がくるように、普遍的なオートマチックなタイムリミットを迎える時と同じ精神状態で、最大限の努力を心がけて、望むような結果が出れば喜び、結果が得られなければ足らずを知り更に精進しようとするように、自身の死を迎える事が出来ればと思う。心や体もちょっとそこまで散歩に行くような身軽さがいい。きっと彼の場合は自然とそうしたのだと思う。だから憧れてしまう。自分は根っからの寂しがりやだから、同じような行動をしたところで、きっと自然には出来ないだろう。それはとても無意味な事だ。とりあえずそれを、自分の身の丈をわかっているだけで良しとしよう。

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