ほほえみ。
ほほえみは、お金を払う必要のない安いものだが、相手にとっては非常な価値をもつものだ
ほほえまれたものを、豊かにしながらも、ほほえんだ人は何も失わない
フラッシュのように、瞬間的に消えるが、記憶には永久にとどまる
どんなにお金があっても、ほほえみなしには貧しく、いかに貧しくても、ほほえみの功績によって富んでいる
家庭には平安を生み出し、社会では善意を増し、二人の友のあいだでは、友情の合言葉となる
疲れたものには休息に、失望するものには光になり、悲しむものには太陽、さまざまな心配にたいしては、自然の解毒剤の役割を果す
しかも買うことの出来ないもの、頼んで得られないもの、借りられもしない代わりに、盗まれないもの、何故なら自然に現れ、与えられるまでは、存在せず、値うちもないからだ
若しあなたが、誰かに期待したほほえみを、得られなかったら、不愉快になるかわりに、あなたの方からほほえさかけてごらんなさい
実際、ほほえみを忘れた人ほど、それを必要としているものはないのだから
一つの短い人生。
一つの短い人生に幕が下りた事を知った。性別も定かでは無かったので胸を張って人生とは呼べないかもしれない。手のひらが大きく見えるほどのとても小さな存在。それでも心臓が動いていた事実と、私たちの元にきてくれたとてつもなく大きな喜びと大きな感謝がある。大切な家族である事に何も変わらないし、愛情も一生変わらない自分がいる事も知る。
発想の転換
発想の転換という言葉は日常的に見聞きするが、それを実行する事は非日常的な程困難な場合が多いと思う。頭では理解出来ても身体が受容出来ない事もある。自身としては感謝が解決の糸口になり発想の転換が出来たことで、未来の無い人生に希望の光を灯す事が出来た。
三十歳を目前に実際何も無かった。積み重ねも無く、技術も自信も無く、役に立てれそうな経験も資格すら一つも無かった。もう終わりだと思ったその後がない状況が、開き直らせ命がけにしてくれた事、そして親の背中から謙虚さと感謝の大切さを少しは理解出来ていた事で、自分に無い部分だけに当てた焦点を自分の可能性に向ける事が出来た。
健康な体がある。意志の制限は無い。立ち上がる事ができる。目標を設定する事ができる。一歩進む事ができる。努力する事ができる。気持ちのスイッチが切り替わった事をはっきりと感じた。たとえ遅くても笑われてもやる事に変わりはないし、失敗に終わってしまう事もすべてやりきってから考えようと思った。もう何も無いとは思わなくなっていた。
Pellicule。
Pellicule by 不可思議/wonderboy
今日が最後。
今日が最後の日と決意して全力で過ごした一日の積み重ねが、振り返った時に充実した日々となり、自身の糧になっていると気づかせてくれる。
その覚悟は、今やるべき事を明確にすると共に雑音や邪念を消し去り、大切な人やものだけを考え見つめさせてくれる。今日が最後とがむしゃらに突き進んだ事で、先が見えない何一つ救いのなかった状況も突破する事が出来た。
今日が最後。感謝を忘れず最善を尽くす。
ふいに。
ふいに口ずさんだゆりかごの歌にもうすぐ1歳になる娘が激しく反応した。
すぐ近くにあった父の写真に指を刺していた。そこには母も写っていたが、まるで確信的に父だけを指し続けていた。残念ながら彼女は祖父にあたる私の父を現実的には知らない。生まれる3年前に父は亡くなっている。
ゆりかごの歌は、私が幼い頃に父がよく歌ってくれたものだった。記憶の片隅にあったそれが何かの弾みで蘇り、私はたまたまふと口ずさんだだけで、彼女も初めて聞いたはずだった。それなのに娘は父に反応してくれた。
そうかそうか。娘は何度も父に会っているのか。そしてこの歌も彼から聞いていたのか。
常々私は、父に娘を会わせる事ができなかった事を悔やみ、申し訳なく思っていた。そんなある時、父からもう娘には会っているからというようなニュアンスを感じて、少し気が楽になった事があった。今日はそれを心底実感する事が出来た。だからその事でもう悔やむ事はしないでおこうと思う。
だからあなたも私に対して申し訳なく思う事は何一つしないでほしい。私の人生を誇れるように頑張るから。
人の痛みの分かる人間に。
人の痛みの分かる人間になってほしい
傷つき辛く悲しい経験を潜り抜け
色々経験をして強い人間になってほしい
弱いものに寄り添う事はそれだけで強い
弱さにつけ込む心の腐った人間から守れる強さ
それがあれば尚良いかもしれない