woodenvalleyのブログ

日々感じた事や思った事。大切にしてる事。ふとした事。子供の事。

あわてずに。

あわてずに心を広く胸の中。

久しぶりに父の夢を見た後にこの言葉が浮かんできた。慌てても仕方がないので一つ一つ確実にやっていく。そして心にゆとりを意識して男らしくどっしりと構え嫌な事も辛い事も表には出さずに胸に秘める。それによって物事が良い方向に進んでいく。父の遺言と捉え自分なりにそう解釈した。ありがたい事にこの言葉を思い出すと不思議と心が落ち着いてくる。

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死に方について。

死に方について自分なりの答えがようやく出た。

それは綺麗じゃなくていいという事。ぼろぼろの姿で死んでいくことは、本人も家族も受け入れ難いものだと思う。自分の父の苦しんでる姿は今でもはっきりと覚えているし、それは美しい思い出では決してない。それでも、それが良いというか、正解という結論に至ったのは自然がそういうものだからだ。どんなに美しい花も必ず枯れる。その様子は、咲いた姿に比べればとてもみすぼらく、残酷で悲惨に見えるかもしれない。しかし、花は枯れ落ちる事により、肥料となり土に還る。言葉の通り、周りに還元されて、次の生命の誕生に繋げてくれる。それはとても美しいサイクルだと思うし、生き生きと咲き誇った状態で命を絶たれる方がよほど残酷のように思う。また、自分がそう感じれるようになった事はとてもありがたく思う。父が病気になり、痩せ細り、辛く苦しんで人生を終えた事も、生命のサイクルのひとつ。だからその姿を引きずる必要は全く無いと思う。悲しくて泣くのであれば、元気な姿を思い浮かべて会いたくて涙する日もあっていいと思う。

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そこは教室だった。

そこは教室だった。

自分が学生なのか、何者かも分からないがたくさんの人達と授業を受けていた。笑顔が溢れ楽しい雰囲気で進んでいた。ある時、ふと私は一人教室を抜け出しトイレに向かった。トイレの入り口に差し掛かった時だった。目の前の洗面台に見覚えのある後ろ姿があった。振り返ったその人は、やはり父だった。彼は何も言わず、いつものようにニコニコして私の前を通り過ぎていった。亡くなった父がそこにいる。すぐに消えてしまうと思った。私は慌てて追いかけた。父はある教室の中に入っていった。私も後を追って教室に入ると、父は教壇にいる先生らしき人に何か紙切れを渡し、何度も会釈をしていた。そして空いていた席に座った。すると、案の定消えてしまった。私はすごく紙切れが気になったので、教壇の人物に紙切れを見せて欲しいとお願いした。その人はあっさりと渡してくれた。私は、はやる気持ちを抑え中身を見た。私は落胆した。そこには何気ないメモが書かれていただけだった。たとえ僅かでも父の痕跡を見つけたかった。期待した分私は酷くがっかりした。そして溜息をつきながら何気なく紙の裏を見た瞬間私は言葉を失った。

いつも見ているから。

そう書かれていた。驚くほど鮮明で綺麗な文字だった。息が出来なくなるような感覚というのか。そしてその瞬間、夢がガラガラと崩れ現実に戻るのがハッキリと分かった。そして私は目が覚めた。

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本日はお忙しい中。

本日はお忙しい中、また寒さも厳しい中、私たちの為にお集まりいただきまして誠にありがとうございました。

皆様には、たくさんのご祝辞や温かい激励の言葉、そして心のこもった余興までしていただきまして、重ねて感謝を申し上げます。私は今、皆様への大きな感謝と大きな喜びで胸が一杯です。私は、彼女との結婚を決めた時に、彼女にどんなことがあっても生涯守り続ける事を誓いました。また彼女の、大切なご両親の老後を看てあげたいという優しい想いにも、全力で支える事を誓いました。それらの決意が、結婚して一年経ちますが、更に強くなっている喜びを、皆様のおかげで今一番ひしひしと感じております。

私が彼女と一緒になれたのは、大きなご縁によって導いていただいたおかげですが、私なりにも決意をさせていただきました。その時に、私の背中を押してくれたのが、今は天国にいる父でした。彼女と付き合ってしばらく経った時の事ですが、私は彼女の誰にも負けない明るさや、ハートの良さにとことん惹かれていましたが、どうしてもお互いに譲れない人生設計の違いがありました。私は、彼女の人生、幸せを最優先に考えた結果、一緒にいないほうがいいという結論に至りました。ちょうどその時に、私の胸の中に、この子やで、という優しい父の声が何度も響いてきました。とても不思議な感覚でしたが、とにかく嬉しかった事を覚えています。私は、父のその言葉のおかげで、正しい選択をする事ができ、今こうして皆様の前に立つ事ができています。

父はとても照れ屋なので、今この場にはいませんが、きっとどこかで見てくれていると思いますので、その大好きな父と、この場をお借りして、大切な皆様に、改めて誓わせていただきます。私は、生涯彼女を幸せにし、生涯命を燃やして家族を守っていきます。また彼女は、大切なご両親が老後を迎えた時に、必ず優しく見守りますので全力で支えさせていただきます。ただ、今日この場のように、皆様がいてくださるお陰で、私たちは目標に向かって頑張る事が出来ます。まだまだ未熟な私たちですので、これからもより一層のご指導ご鞭撻のほど、宜しくお願い致します。そして、皆様のご健闘とご多幸をお祈り致しまして、私たち夫婦のお礼の挨拶にかえさせていただきます。

皆様、本日は誠にありがとうございました。

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人生に意味はない。

人生に意味はないという結論に至るには確か二十代になる前でそれほど苦労はなかった。

理由は簡単で人生に意味があるとすると、すべての人は救われないから。人生が素晴らしく生きる意味に満ちている事を前提とすると、不幸にも生まれてこれなかった命や、天災や不条理などで命を落とした人は落伍者になってしまう。それを不運と一言で片付けてしまうのはあまりにも残酷で、何の役にも立たなくてもせめて私の命でも差し出したくなってしまう程悲しすぎる。だから私は授かった命は精一杯生きさせてもらうけど、それと同時に生きる事に大層な理由も使命も求めない。

日々感謝して頭を下げるただそれだけ。

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30歳になるまで


30歳になるまで自分の将来に先はなかった。

楽な夢だけを見て、才能も実力も無いのに努力もせず、都合の悪い事からは逃げ、結婚の願望も無く、将来に展望がなかったし、持つ事も出来なかった。

悪い事が重なった事が転機になった。どん底に落ちた事も、取り返しのつかない時期に来た事も良かったのかもしれない。

幸運にも動き出している最終列車に何とか飛び乗る事ができた。暗闇の中遥か前方に微かな光を確認する事ができた。

私のように甘えきった人間にとっては、戒めとして、危機感として、取り返しの期限を決め、最終列車の時刻を設定する事は切に大事だ。

しかし人生諦めない限り、また歩み続ければ、列車が運行する駅にたどり着けるし、真夜中でも臨時列車が通過するかもしれない。

そして私のように、呆れる程情けない自分でも正しい道を示すコンパスになるかもしれない。見下され這いつくばった経験も正しい道を歩き続ける追い風になるかもしれない。

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資格は船になる

資格は船になる。

もし、今の居場所が腐りきっていようと、地獄であろうと、終わりが無かろうと、たとえ薄っぺらい資格でも、薄っぺらい紙の船があれば、そこから抜け出すことはできる。

自分の道は自分で決め、自分でつかみ取る。自分で考えて進んだ道は、たとえ遠回りしても財産になる。

おまえが消えて喜ぶものにおまえのオールを任せてはいけない。

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