woodenvalleyのブログ

日々感じた事や思った事。大切にしてる事。ふとした事。子供の事。

親について。

親について深く考える、また考えるようになる瞬間は最低でも2つあると思う。それは自分が親になった時と親が亡くなった時ではないだろうか。

私と父はずっと友達のような存在だった。普通は秘密にするような事も、どんな事でも話してきたから、成人してからはもう改まって話すような事は何も無かった。お互いに全てを知っているというような感じだった。父が余命を宣告されてからでさえ、他愛のない会話しかしなかった。心が言葉を越えているような、何か達観した自分がいた。父が元気な間にやっておきたい事も後悔も一つも無かったので、父が亡くなった瞬間もやはり冷静だった。新人の看護士さんが泣いてくれていたのを覚えている。短い入院で少し仲良くなっていたのだろうか。またある看護士さんは、こんな緊迫した状況で家族が見舞いに来ない事を不思議に思っていたと話してくれた。父は当時何も話してくれなかった。今なら分かるが父は全てを知っていたんだろう。みんなと離れる事を受け止める事が出来なかったんだと思う。だから最後の最後で距離を置く選択をした。

今では父に関わるそんな些細な事もすごく気になって考えるようになった。こんな事は全く想像出来ない事だった。私は父に対して全く執着や依存が無かったし、父の死をしっかりと受け入れて受け止めたと思う。そんな人間でさえ、気が付けば父の人生を振り返ったり、父の事を思って寂しくなる機会が増えている。

そう考えると、みんな頑張っているんだなと思う。親の死を受け入れる事が出来ず苦しんでいるのかもしれない。生きる気力を失う人の気持ちも否定する事は出来ない。私のように変わり者で強い人間は少ないと思う。乗り越えられない可能性もある。だからこれから親の死を経験する人には、どうか相当の覚悟を持ってもらいたいと思う。一度親が死んだつもりで、悔いのないように残りの時間を大事に共有してもらいたい。また、親の死を経験した人には、困難や悲しみに直面した時など、気軽にコミュニケーションやアドバイスをもらう事が出来ない代わりに、今は自身と同化し、同じ目線で一緒に向き合い、乗り越えようとしてくれていると安心してもらいたいと思う。心は二つになって、今は完全な一人ではないんだと、気休めでも心が楽になってもらいたい。

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資格取得数。

資格取得数が、第1種冷凍機械責任者と乙種第6類消防設備士を取得すれば今年中に十個を超える。振り返ると、職業訓練学校の入校をきっかけに幾つかの仕事を経験しながら、今まで乙種第4類危険物取扱者、第2種電気工事士フォークリフト運転技能講習、認定電気工事従事者、甲種第4類消防設備士、第1種電気工事士、高所作業車運転技能講習、2級ボイラー技士、自衛消防業務講習と確実に取得する事が出来た。

しかし、もっと資格について調査し優先順位についても修正できたと思うし、何より仕事や職種、会社について思慮深く見つめて選ばなければならなかったと大きな反省はある。ただ、設定した目標と大きく掛け離れる事なく着実に努力を続けてこれた事、そしてその環境を与えてもらえた事にはとてつもない感謝がある。

それまでの自分は、未経験者の求人しか見れなかった。何より見ようともせず、逃げ続けて都合の良い運だけを待つのが当たり前になっていた。資格は、取得の発想は無く夢のまた夢だった。年齢を重ねて必然的に求人の幅も数も減少していった。夢から醒めて、ただ単純に、いい大人にもかかわらず無防備な裸の状態が怖くてたまらなかっただけかもしれない。本当に数年は記憶がないほど、資格を人生の目標として、また今までのツケを返そうと必死に向き合ってきた。

そんな自分が今資格について、あくまで自身の観点と経験から言える事は、資格はパスポートという事に尽きるかもしれない。それが無いと入国できないように、資格が無いと仕事を始める事ができない。また、パスポート同様に資格は必須条件であると同時にスタートラインである。資格の所持だけなら入国しただけに過ぎない。重要なのは入国後であり、目的があって旅行するように、やりたい事や目指すものがあって初めて準備をして必要な資格を取得しなければいけない。自己啓発や勉強の為の資格取得は決して悪いとは言えないが、行きたくも無い国のパスポートは取る時間もそれ自体も無駄になる。いくら資格があっても強い意志や方向性が見えないと採用者や会社には響く事はない。

何より重要になるのは、入国後のビジョンであり、資格と共に目指すものを決める事。その後進路変更があった場合でも、目標に向かい努力してきた結果と整合性を証明出来れば、ひとまず相手に納得してもらう事が出来るし、評価の対象になる可能性もある。資格取得に限らず社会においてこれはとても大切だと思う。

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ほほえみ。

ほほえみは、お金を払う必要のない安いものだが、相手にとっては非常な価値をもつものだ

ほほえまれたものを、豊かにしながらも、ほほえんだ人は何も失わない

フラッシュのように、瞬間的に消えるが、記憶には永久にとどまる

どんなにお金があっても、ほほえみなしには貧しく、いかに貧しくても、ほほえみの功績によって富んでいる

家庭には平安を生み出し、社会では善意を増し、二人の友のあいだでは、友情の合言葉となる

疲れたものには休息に、失望するものには光になり、悲しむものには太陽、さまざまな心配にたいしては、自然の解毒剤の役割を果す

しかも買うことの出来ないもの、頼んで得られないもの、借りられもしない代わりに、盗まれないもの、何故なら自然に現れ、与えられるまでは、存在せず、値うちもないからだ

若しあなたが、誰かに期待したほほえみを、得られなかったら、不愉快になるかわりに、あなたの方からほほえさかけてごらんなさい

実際、ほほえみを忘れた人ほど、それを必要としているものはないのだから

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一つの短い人生。

一つの短い人生に幕が下りた事を知った。性別も定かでは無かったので胸を張って人生とは呼べないかもしれない。手のひらが大きく見えるほどのとても小さな存在。それでも心臓が動いていた事実と、私たちの元にきてくれたとてつもなく大きな喜びと大きな感謝がある。大切な家族である事に何も変わらないし、愛情も一生変わらない自分がいる事も知る。

発想の転換


発想の転換という言葉は日常的に見聞きするが、それを実行する事は非日常的な程困難な場合が多いと思う。頭では理解出来ても身体が受容出来ない事もある。自身としては感謝が解決の糸口になり発想の転換が出来たことで、未来の無い人生に希望の光を灯す事が出来た。

三十歳を目前に実際何も無かった。積み重ねも無く、技術も自信も無く、役に立てれそうな経験も資格すら一つも無かった。もう終わりだと思ったその後がない状況が、開き直らせ命がけにしてくれた事、そして親の背中から謙虚さと感謝の大切さを少しは理解出来ていた事で、自分に無い部分だけに当てた焦点を自分の可能性に向ける事が出来た。

健康な体がある。意志の制限は無い。立ち上がる事ができる。目標を設定する事ができる。一歩進む事ができる。努力する事ができる。気持ちのスイッチが切り替わった事をはっきりと感じた。たとえ遅くても笑われてもやる事に変わりはないし、失敗に終わってしまう事もすべてやりきってから考えようと思った。もう何も無いとは思わなくなっていた。

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