woodenvalleyのブログ

日々感じた事や思った事。大切にしてる事。ふとした事。子供の事。

試験合格は最低条件

試験合格は最低条件と言うと、聞こえは良いかもしれないが過言ではない。見えない力によって生かされ、向上心を養いながら日々健康に過ごす事が出来ている。また、信頼できる仲間の存在や、家族のサポートがあって、はじめてしっかりと勉強する事ができる。試験合格は最低条件という覚悟を持って、普段通りに今日も試験に向き合える事に感謝。

f:id:woodenvalley:20191020120547j:plain

今日は誕生日

今日は誕生日。

考えるのはやっぱり父親のこと。

家族の御縁をもらい、可愛い子供達に囲まれて、生かされている事に感謝しかないこの状況を、彼らも色んな御縁に導かれて作ってくれた父親と母親。

今にして、今だからこそ思う。

父親が生きていたらきっと色んな仕事の話が出来ただろうな。自分が休みの日には彼の重労働を手伝う事も出来たかもしれない。その後で一緒にお酒を飲めたらどれだけ良かっただろう。勿論父親が元気ならそんな風にはなっていない。自身も三十半ばを迎えながらいまだに独り立ちさえ出来ていなかっただろう。


そして誕生日に願うこと。

子供たちが大きくなり、彼女たちの人生を自分で歩んでいく時には、両親にという括りではなく、感謝の気持ちが根付いてくれていればいいなと思う。

彼女たちに感謝の気持ちと共に、かけがえのない小さな幸せが寄り添ってくれる事を願う。







俳優、堤真一

俳優、堤真一

彼は甲子園球場のある、兵庫県西宮市で育った。子供の頃から野球をやっていたが、次第に興味が薄れて高校一年の時に野球部を退部。その後明確な目標を失い不登校になった。ずっと寝てばかりの生活だったが不思議と両親には怒られなかった。父親は熊本の出身でとても無口な人間、そんな父に反抗的な態度をとる事は多かった。高校を辞めると告げた時に、理由を問われて思わず暴言を浴びせた。あんたみたいなサラリーマンになりたくない、毎日同じ時間に出て行くなんてしたくない、そう偉そうに言った。その時に父親から言われた、サラリーマンの苦しみが分からない奴は何をやっても一緒や、この一言に何も言えなくなり学校に行くようになった。それから数年の後、父親との別れがやってくる。


彼が十九歳の時に父親が末期の癌になった。

養成所に通いながら俳優のオーディションに合格し、東京に行く事になったのもその時だった。彼は東京に行く前日に父親の病室を訪れた。彼は必死で馬鹿話を披露した。父親はしばらく静かに聞いていたが、車はコインパーキングに留めているのかと確認した。そして、一時間を超えると料金がかかるから早く行きなさいと言った。まだ十分程しか経っていなかった。そして、彼にも話す事がなかったので、僕はもう行きます、明日東京に行きます、と言った。

病室を出る間際だった。

元気でな、と父親が言った。

振り返る事ができなかった。

父親の顔が見れなかった。

廊下に出て泣き崩れた。

もう会えないと理解していた。


役者として一番苦しかった三十代四十代、この時が彼にとって一番父親について考えた時期だったという。ある時父親のどこが嫌いだったのかと考えた時に、何一つ見つからなかった。そして、子供の頃から自分は父親が大好きだった事を思い出した。団地の二階から仕事に向かう父親の後ろ姿が何より大好きだった。小学二年生の時に父親には栄転の話があったが、友達が変わるのは嫌だと言うとあっさり断ってくれた。そのおかげで、子供の為に、文句一つ言わない、無口でかっこいい父親は、定年まで平社員だった。


f:id:woodenvalley:20190725215813j:plain


f:id:woodenvalley:20190729072137j:plain


f:id:woodenvalley:20190729072227j:plain

電気工事施工管理技士筆記試験

一級電気工事施工管理技士の筆記試験に合格。

まずは感謝。

継続して勉強できる環境、勉強できる心の余裕、日々の健康、前向きな思考力等々何かひとつでもかけていれば合格には至っていない。

偶然にも合格への道筋が開かれていた事に感謝。

10月には最終の実地試験。

気を引き締めて頑張ります。


f:id:woodenvalley:20190723203419j:plain


最高の時計を見つけた

最高の時計を見つけた。仕事用に高価な時計を買おうと思った。

三十代半ばという年齢に応じた恥ずかしくないものを身に付けたいと思った。モチベーションをあげる、少しは優越感に浸りたい、また憧れがあったりボーナスも入ったりと理由は色々あった。しかし、父の事を思い出し買うのはやめた。


父は六十代半ばでも毎日泥々になりながら現場仕事をしていた。仕事で身に付けていたのは古くてとても安価な時計だった。その時計は、父の体と同じように酷使されとても汚れていた。それはもともと自分が若い頃に使っていたものだった。自分が使わなくなり捨てるつもりのものを父は使っていた。父が普段乗っていた車も自分のお古だった。それも仕事の道具や荷物が積まれて汚れていた。


もっといい時計を買ってあげたかった。もっといい車に乗せてあげたかった。美味しいものをたくさん食べさせてあげたかった。色んなところに連れていってあげたかった。

息子である自分を頼もしく思って欲しかった。誇りに思って欲しかった。それくらいに活躍した姿を見せたかった。自分の娘も見せたかった。娘の弾けるような笑顔を見せてあげたかった。それをあてにして美味しいお酒を飲ませたかった。一緒にお酒を飲みたかった。


父が使っていたものに似た時計をオークションで見つけた。値段は千円程度だったが、これほどモチベーションが上がるものもなかった。父と共にある証としてこれを一生つけることに決めた。

f:id:woodenvalley:20190623123400j:plain

何でもないよ

何でもないよ

とランジット君が答えたのは、確かカメラマンが自身の状況について質問した時だったと思う。

ランジット君は当時14歳でインドの孤児が集まるセンターのリーダーをしていた。センターはNGOの支援下ではあったが、自立や責任感の育成を理由に少年少女だけの生活、また生活費も自らが働いて得なければならない状況。統率するだけでも大変な中、当然のように自身も朝から晩まで働き、また仲間が就労先から不当な扱いを受ければ、雇い主に交渉するなど走り回っていた。

そして毎晩全てが片付いた23時に、小学校の卒業資格を取得する為の勉強をしていた。彼には大きな夢があった。大好きな家族の為に家を建てるという夢だ。彼はその為に自ら10歳にして家族と離れて暮らす道を選択していた。

彼には戦う理由があった。それだけの覚悟があれば本当に何でもないのかもしれない。しかし彼はまだ14歳になったばかりだ。彼は恐ろしいほど早く戦う術や冷静な判断、哲学を完成させていた。対象物を確実に捉えた視線は真っ直ぐで堂々とし、美しい瞳は輝きに満ちているように見えた。

また彼は孤児達と共にチャイの店を立ち上げた。それは劣悪な就労環境に対する新たなアンサーであり、強烈なカウンターであり、これから快進撃を続ける狼煙のようにも感じられた。まさしくそのタイミングで青天の霹靂とも言える出来事が起こった。ランジット君の元に大好きな家族から連絡が来たのだ。それは帰ってきてまた一緒に暮らそうという夢のような提案だった。家族は農村から工業地域に引っ越し生活が少しは楽になったようで、それで晴れてランジット君を迎えにきたのだ。普通ならばこれでハッピーエンドで、物語ならば第何章目かの最高のエンディングとなるものだ。しかしランジット君は数日考えた結果、この申出を断る事に決めた。まだ帰る時ではないと判断した。自分にはやる事がまだまだたくさん残っている。事業も始まったばかりで高校にも進学していない。それからでも、またそれを経験した後の方が、家族の力になれると言い切った。

彼は迎えに来た家族を丁寧に見送り、再び仲間たちの元へ戻っていった。そこで番組はエンディングを迎えた。

f:id:woodenvalley:20190619103113j:plain

一級電気工事施工管理技士

一級電気工事施工管理技士の実地試験の参考書を購入。

筆記試験は先日終わったばかりで、合格発表まで1ヶ月以上あるという状況なので、本来ならこのような見切発車はしない。今回は合格している自信も勿論あるが、先手必勝理論で少しでも早く実地試験の対策を進める事、それによってメンタルは勿論、学習時間の余裕を創り出し、また次に予定している資格取得の可能性をも高める事が狙い。それに、物事は勝手には順調に進んでくれないので、予期せぬ事が起こってしまった場合でも、しっかり準備をしてどんな形であれゴールを決めたい。勝ち負けのジャッジは天に一任。人生の選択は後出しジャンケンより先手必勝。

f:id:woodenvalley:20190614133249j:plain