夢に一歩。
夢に一歩近づいた。奇跡が起きた。自分の実力を超える力が働いた。また救ってもらった。第三種電気主任技術者試験の四科目の中の電力試験に科目合格する事ができた。第三種電気主任技術者試験に合格する事を人生の目標とし、また生きた証にする為に頑張ってきたが、その中でもただ一つ合格する事も困難に感じる事が多かった。まだ夢への途中だが、夢の中にいるような信じられない気持ちなのは、今回もうまく説明する事ができない大きな力に助けられたからだろう。感謝するだけでは勿論足りない、何としても、あと二年以内に第三種電気主任技術者試験に完全合格をしなければならない。自分の頭や実力を見つめるほど遠く離れていくような道のりだったが、気付けば頂上までの距離が4分の1縮まっていた。諦めない限り必ず状況は打破できるだな。劣ろうと、遅かろうと、置いてかれようと、怒られようと、決して諦めずに、自分を信じて、自分のペースでひたすら進んでいく。必ず幸せに繋がるから
それは突然。
それは突然宿直の時にきた。
おかげで幸せな朝を迎える事ができた。
娘からの一番最初のメール。
一歳半の出来事だから、彼女はこれを見た時に、この偶然の事実を知ると思う。
本当に嬉しかったし、今改めて伝えておく。
本当にありがとう。
久しぶりに父に
親について。
親について深く考える、また考えるようになる瞬間は最低でも2つあると思う。それは自分が親になった時と親が亡くなった時ではないだろうか。
私と父はずっと友達のような存在だった。普通は秘密にするような事も、どんな事でも話してきたから、成人してからはもう改まって話すような事は何も無かった。お互いに全てを知っているというような感じだった。父が余命を宣告されてからでさえ、他愛のない会話しかしなかった。心が言葉を越えているような、何か達観した自分がいた。父が元気な間にやっておきたい事も後悔も一つも無かったので、父が亡くなった瞬間もやはり冷静だった。新人の看護士さんが泣いてくれていたのを覚えている。短い入院で少し仲良くなっていたのだろうか。またある看護士さんは、こんな緊迫した状況で家族が見舞いに来ない事を不思議に思っていたと話してくれた。父は当時何も話してくれなかった。今なら分かるが父は全てを知っていたんだろう。みんなと離れる事を受け止める事が出来なかったんだと思う。だから最後の最後で距離を置く選択をした。
今では父に関わるそんな些細な事もすごく気になって考えるようになった。こんな事は全く想像出来ない事だった。私は父に対して全く執着や依存が無かったし、父の死をしっかりと受け入れて受け止めたと思う。そんな人間でさえ、気が付けば父の人生を振り返ったり、父の事を思って寂しくなる機会が増えている。
そう考えると、みんな頑張っているんだなと思う。親の死を受け入れる事が出来ず苦しんでいるのかもしれない。生きる気力を失う人の気持ちも否定する事は出来ない。私のように変わり者で強い人間は少ないと思う。乗り越えられない可能性もある。だからこれから親の死を経験する人には、どうか相当の覚悟を持ってもらいたいと思う。一度親が死んだつもりで、悔いのないように残りの時間を大事に共有してもらいたい。また、親の死を経験した人には、困難や悲しみに直面した時など、気軽にコミュニケーションやアドバイスをもらう事が出来ない代わりに、今は自身と同化し、同じ目線で一緒に向き合い、乗り越えようとしてくれていると安心してもらいたいと思う。心は二つになって、今は完全な一人ではないんだと、気休めでも心が楽になってもらいたい。